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はるのひの気まぐれ通り雨

はるのひの気まぐれ通り雨

「失われた都」

●交響詩「失われた都」(1968年)

青い夏草の中に、いくつもの礎石が散らばっていた。その配置からは壮麗な建造物が堂々と軒をそばだてていたことが読み取られる。赤い太い円柱、白い壁、そして青の屋根。この遺跡・都府楼の名称からの印象では、ここを中心として繰り広げられていた都の佇まいである。
すぐ近くから広がる、玄海を隔てて相対する朝鮮。そしてその頃、既に近東・西欧と交流を持っていた唐・宋を通じ流れ込んでいた外来文化が、この都府楼を彩っていたという。では、そこではどんな生活が営まれていたであろう。
ここは、1300年以前から大陸に向けて開いた日本の玄関であった。かつては多くの遣唐使や留学生を唐に送り出し、優れた先進文化を迎え入れ、ある時は新羅・高麗に向け、度々軍船をも送り出したという。
この大宰府の西で、筑紫平野をよぎる水城と呼ばれる防塁の遺構は、ここが決して平和のみではなかったことを物語る。ここは幾度となく外敵に襲われたが、中でも、鎌倉時代に起こった元寇の乱は、最大の国難であったようだ。もしその時、博多の海を埋め尽くした蒙古の軍船が、一夜の大暴風雨で全滅させられなかったら、日本の歴史は大きく塗り替えられていたかもしれない。
回想は、菅原道真の悲劇を織り交ぜ、果てしなく広がる。しかし、礎石は何も語らない。ただ夏草に埋もれ、取り付く島も無い沈黙に沈んでいる。


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